読売巨人軍の歴史を振り返る
毎度おなじみ昭和20年代野球倶楽部です
昭和時代をはじめとする、古き良き野球を後世に伝えていく使命をもった昭和20年代野球倶楽部です。前々回のビクトル・スタルヒンや、前回の谷津球場の紹介でもふれた、大東京野球倶楽部について紹介していきます。
前人未踏の6000勝
コロナ渦の影響で、一時は開幕が危ぶまれた2020年プロ野球。遅ればせながら開幕を迎えました。2020シーズンはプロ野球の歴史のなかでも未曾有の出来事として語り継がれるはずです。
迎えた開幕戦。大東京野球倶楽部の伝統を引き継いだ読売巨人軍は3対2で阪神に勝利。2020シーズン初勝利を飾ると同時に、プロ野球史上初の球団6000勝を記録しました。6月19日現在の通算成績は6000勝4291敗325分。初勝利は球団発足2年目の1936(昭和11)年7月3日、対大東京戦で記録しています。
日本プロ野チームの元祖
日本にも本格的なプロ野球球団を…
日本プロ野球の歴史は、1934(昭和9)年12月26日に、大日本東京野球倶楽部の創立総会をもって、スタートとしています。同年の秋、ベーブ・ルースらそうそうたるメンバーが集結した大リーグ選抜チームが来日。その日米野球で16戦全敗と、派手に負けた日本球界は、「このままではアメリカには勝てない」と一念発起。
本格的なプロ野球チームを創ろうと決意した読売新聞社長の正力松太郎は、その日米野球の全日本メンバーを主体として、六大学野球のスター選手や、中等学校野球部の実力ある若手選手を集めて、大日本東京野球倶楽部を創りあげたのです。
学生球界からスターが集結
当時、人気絶頂だった六大学野球界からは、三原脩、水原茂、苅田久徳といった大スター選手が集結。今でいう高校球児だった中学野球界からは、沢村栄治、ビクトル・スタルヒンらを勧誘して、日本初の本格的なプロ球団を創りあげた正力松太郎。実際に選手たちを指揮していたのは、早稲田大学野球部監督を務めていた市岡忠男で、正力氏の信頼を得た彼は、プロ野球リーグ誕生の功労者として権勢を振るったといいます。
ジャイアンツの由来とは?
翌1935(昭和10)年2月14日、横浜港から秩父丸に乗ってアメリカ遠征に出発した大日本東京野球倶楽部。総監督に市岡忠男、監督は三宅大輔という体制で、米国マイナークラスの球団と対戦。75勝33敗1分(勝率.694)の好成績を収めました。
この戦績は日本でも連日報道されたといい、この活躍を受けて、日本全国で「プロ野球球団を発足しよう」という機運が高まり、翌1936(昭和11)年のプロ野球リーグ発足につながったといいます。ちなみにこの米国遠征では、チーム名をわかりやすく「Tokyo Giants」としたことで、帰国後は「東京巨人軍」となり、今日の「読売ジャイアンツ」の名称へ結びつきました。
巨人軍を創った2人の父
当時からあった球団内部のゴタゴタ
米国から帰国後、東京巨人軍は国内を転戦しながら社会人球団と対戦。36勝3敗1引分と、野球で飯を喰うプロ球団としての意地をみせます。しかし市岡忠男は、東京鉄道管理局に2度敗れたことを問題視して、三宅大輔監督を更迭。後任に浅沼誉夫を新監督に据えます。
さらに市岡忠男は、1936年2月5日、東京巨人軍を始めとする7球団の野球リーグ「日本職業野球連盟(後の日本野球連盟)」が結成された際の創立委員長に就任。同年6月16日には、選手との確執が噂された浅沼誉夫監督を解任。浅沼の後任として、東京巨人軍が2度敗れた東京鉄道局監督の藤本定義を新監督に迎えるなどやりたい放題。市岡忠男は巨人軍創生期の要人として、その権威をふるいました。
日本プロ野球リーグが発足
一方、正力松太郎は阪神電鉄、阪急電鉄などにプロ野球団をつくることを呼び掛けます。甲子園球場という、東洋一の大球場を所有する阪神電鉄と、宝塚協会を運営する小林一三がいる阪急電鉄は、プロ野球に興味があるはず…という読みがあったのか。この正力松太郎の呼び掛けが、7つのプロ野球団を誕生させることになりました。
こうして1936(昭和11)年4月29日、ついに第1回日本職業野球リーグ戦が甲子園球場で開幕。ちなみに東京巨人軍は、海外遠征中で同リーグ戦には参加しなかったのは有名な話です。
本格的なリーグ戦の開始
続いて同年7月1日、日本職業野球連盟結成記念全日本野球選手権試合が戸塚、甲子園、山本球場でスタート。海外遠征から帰国した東京巨人軍も参加した本格的なリーグ戦で、これが日本プロ野球公式記録の起点といわれています。
東京巨人軍の公式戦初試合は戸塚球場で行われ、名古屋軍に8対9で敗れました。しかし7月3日の対大東京軍に10対1で勝利。これが巨人軍公式戦初白星となり6000勝につながるわけです。
その後、正力松太郎は1959(昭和34)年に、市岡忠男は1962(昭和38)年に、ともに野球殿堂入りを果たします。巨人軍の産みの親でもある2人は、6000勝達成の報を聞いて、天国で安堵しているでしょう。