小野正一を知っていますか?

選手

開幕ダッシュ決めたロッテの前身球団にいた伝説のサウスポー

毎度おなじみ昭和20年代野球倶楽部です

昭和時代をはじめとする、古き良き野球を後世に伝えていくために存在する昭和20年代野球倶楽部です。2020年のプロ野球が開幕してから、約20日が経とうとしております。

いや〜千葉ロッテマリーンズが強いですね…ということで、今回はそのマリーンズの前身球団で活躍した幻のサウスポーを紹介しましょう。

知る人ぞ知るマニアックな選手を紹介

その投手とは、写真に映る細身の左腕投手の小野正一(おの・しょういち)。なぜこのサウスポーを紹介するのか。それは波瀾万丈のプロ生活を送った、知る人ぞ知るスター選手だからです。

昭和20年代野球倶楽部は、現役時代に素晴らしい活躍をしたにもかかわらず、それほど有名ではない「隠れた名選手」たちを紹介して、現代の野球ファンにそのスゴさを伝えたい…という、おせっかいな使命感を持って活動しております。

昭和35年に投手四冠を達成した投手とは?

正直に告白します。恥ずかしながら、記事を書いているなかのひとは、この偉大なサウスポーの名前を知りませんでした……。昭和20年代野球倶楽部のメンバーとワイワイ話をしているうちに、小野正一投手を知ったのです。

その生涯成績はまさに圧巻のひと言。昭和35年シーズンは見事に投手四冠に輝きます。

  • 1960年シーズン最多勝利賞 33勝
  • 1960年シーズン最優秀防御率賞 1.98
  • 1960年シーズン最高勝率賞 .750
  • 1960年シーズン最多完封勝利 5完封

昭和35年といえば、大毎オリオンズのシーズン。新監督に就任した西本幸雄のもと、榎本喜八山内和弘田宮謙次郎らで構成される「ミサイル打線」で10年ぶり2回目のリーグ優勝を果たしました。

有名なミサイル打線の一方で、投の原動力となったのが、最多勝となる33勝をマークした小野正一なのです。実働年は1956年から1970年の15年間。 2909イニングを投げて、奪った三振2244はNPB歴代13位と、もっともっと評価されるべき投手なのです。

炭鉱で働いていたサウスポー

のちの球史に名を残すサウスポーの出身地は、福島県いわき市。磐城高校出身で、卒業後は社会人野球の常磐炭鉱清峰伸銅を経て、昭和31年に毎日オリオンズに入団しました。

映画「フラガール」を知っていますか?

常磐炭鉱といえば、映画「フラガール」。常磐炭田が閉山する前後のこの地域を描いた名作は、観る者の心を揺さぶります。戦前は黒いダイヤとして重宝された石炭も、第二次世界大戦のエネルギー革命で、その主役は石油に奪われます。日本各地に存在していた炭鉱も次々と閉鎖され、炭鉱で働いていた坑夫たちは、職を失いました。

危険な職場で働きながら野球に打ち込む

常磐炭鉱に限らず、日本全国の炭鉱は常に危険と隣り合わせ。地盤が崩れる落盤やガス爆発、さらには水が溢れ出すなど、不慮の事故が起こるのは日常茶飯事。小野正一はそんな職場で働きながら、野球に打ち込んでいたのでしょうか。

ちなみに常磐炭田でも、炭鉱の坑道から温泉が湧出して、労働者を悩ませたといいます。石炭産業が縮小される時代背景のなか、常磐炭鉱はその温泉を利用して常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)を建設して、成功を収めた……というのが、映画「フラガール」のあらすじです。

炭鉱の危機を救うため、元炭坑夫の男たちがヤシの木を植え、娘たちがフラダンスを学ぶ……常磐ハワイアンセンター創設にまつわる映画「フラガール」はマジでおすすめですよ。

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昭和40年、エネルギー革命により閉鎖が迫る炭鉱のまち。そこでは北国をハワイに変えようという起死回生のプロジェクトが持ち上がっていた。目玉となるのはフラダンスショー。誰もが見たことがなかったフラダンスを炭鉱娘に教えるため、東京からダンサー平山まどかが教師としてやってきた。旬を過ぎ、しがらみを抱えるが故に、最初は嫌々ながら...

昭和35年の小野正一

話を野球に戻します。昭和35年の小野正一は、まさにフル回転の働きでした。リーグ最多登板となる67試合のうち、リリーフ登板は45試合。ゲーム完了39もナンバーワンの数字で、小野正一が先発とリリーフ関係なしでマウンドに登り、チームの勝利に貢献したことを証明する記録です。

18連勝に大貢献

小野正一がもっとも輝いたのは、オリオンズ優勝への足掛かりとなった6月5日から29日までの18連勝(1引き分けを挟む)。今でも語り継がれるこの連勝記録に、小野正一はなんと15試合に登板。そのうちリリーフで登板した13試合でチームを勝利に導いているのです。

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月間11勝の大記録

圧巻は22日からの東映3連戦3連勝。登板記録を調べると、前年の昭和34年5月2日〜3日の西鉄戦でも3連戦3連勝を記録している小野正一にとって、自身2度目の快挙を達成しました。結果、18連勝の半分以上にあたる10勝を挙げた小野正一は、 月間11勝の大記録を樹立したのです。

酷使が影響?その後の小野正一は…

大毎オリオンズの優勝に大きく貢献した昭和35年の小野正一。翌シーズンも17勝を挙げますが、14敗を記録。防御率は前年の1.98から3.16と大幅にダウンしています。

成績は緩やかに下降線

これまでの酷使が影響したのか…当時、小野正一を観ていないので何ともいえません。昭和39年は5勝に終わり、昭和40年にオリオンズを離れ、大洋ホエールズに移籍。同年9勝をマークするも、昭和43年には中日へ移籍。昭和44年に13勝を挙げ、昭和45年に現役引退します。

騒動に嫌気がさして引退?

当時、球界を揺るがしていたのが「黒い霧事件」。プロ野球関係者が金銭授受を伴う八百長試合に関与した一連の疑惑騒動は、昭和44年から昭和46年まで相次いで発覚しました。

そんななか、マスコミは小野正一にも黒い霧事件への関与を疑いをかけ、セ・リーグ会長が小野正一の身の潔白を証明する事態にまで発展。結果、小野正一はこの騒動に嫌気がさして現役を引退したといわれています。

伝説のリリーバー小野正一

単年に無理使いされる「酷使」で潰れていく投手は何人もいましたが、小野正一は37歳まで投げ続けました。先発・救援と大車輪の活躍をみせた小野正一。しかし個人的にはリリーフ投手として、その価値を評価したいです。

なぜなら小野正一が最も輝いた昭和35年。シーズン33勝のうち、半分近い21勝をリリーフ登板で記録しています。これはシーズン最多救援勝利の不滅の大記録であり、小野正一を伝説のリリーバーとよぶに相応しい記録といえるでしょう。

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