まえがき
昭和20年代野球倶楽部では、これまでnoteというWEBサービスを利用していました。
けれども、6月初旬に昭和20年代野球倶楽部のWEBサイトを立ち上げたのをきっかけに、noteは退会することにしました。いろんなサービスがありすぎる昨今、あまり手を広げすぎるといろいろ面倒なので、スリム化を図った次第です。
というわけで、noteに掲載していた書評を、一部加筆修正して残しておきます。たまにはこんなのもイイかもです。
いつもそう
いつもそうだ。ヒトは失ったときに、そのありがたみがわかる。
そこにあるのが当たり前だった「野球」を見ることができない寂しさ。
空気のようなモノで、空気がなくなったら息ができない。息ができないと死んでしまう。
NPB開幕延期、センバツ中止の報を聞いて、やるせない時間を過ごした野球ファンは大勢いるはずだ。
NPB開幕が延期したのは、2011年に東日本大震災で3月25日から4月12日に変更されて以来。OP戦や練習試合は行われているけれども、間違いなく心に引っかかるモノがある。
震災のときはスポーツの力・音楽の力みたいなのが本当に響いた。けれども、コロナに対しては震災の時のような感情とは欠け離れたものしか抱かない。相手が見えない、正体不明なモノが相手だからだろうか。
中止になったセンバツには、絶望感しかない。
旧態依然の高校野球に対しての絶望感とか、高野連への怒りとか、そういう話ではない。前述したように、正体不明なモノが相手だから、ある程度の理解はできる。ただただ、絶望感しかないのだ。
そんなモヤモヤした気持ちを、忘れさせてくれたのがこの本だった。センバツが開幕する(はずだった)日に、KindleUnlimitedでも読めることを知ったのは、運命的な出会いを感じた。
なにを隠そう、自分自身も元高校球児である。中学時代から野球部に所属しており、高校は白山高校と同じ県立高校野球部で、3年間、汗と涙の青春時代を過ごした。
ヤバかった中学時代の野球部
高校時分の野球部は、白山高校ほど「荒れて」はいなかった。しかし、中学時代がヤバかった。どのくらいヤバいかというと、朝練でグラウンドに到着すると、バイクのタイヤの跡をトンボで消すことからはじまるくらいヤバかった。
この本に登場する近鉄組と名松組のように、チームには真面目軍団と問題児軍団が存在していた中学校の野球部。
朝練に集合して、タイヤ跡をトンボでならす真面目軍団と、気の向いた時に放課後のグラウンドに現れて、バッティング練習だけして帰って行く問題児軍団。
彼らは夜中に再びバイクで現れ、グラウンドを駆け回っていたのだ。
当然チームはバラバラで、顧問の監督は次第に顔すら出さなくなった。
まあ、今考えるとわからなくもない。1年我慢すれば、次の代に変わって心機一転、チーム作りができるわけだから。事実、後輩たちも怯えて無関心を装っていたし、それほど自分たちの代はヤバかった。
もちろんチームはクソ弱く、練習試合でもなかなか勝てず、公式戦はすべて一回戦敗退。最後の夏の総体予選で負けた後は、ベンチに入れなかった問題児軍団が、試合中を見計らって、顧問の車に10円玉でキズをつけるという、今振り返ってもムチャクチャなチームだった。
試合後、サバサバとした表情で車に乗り込もうとした顧問の表情が、一瞬にして凍りついた表情に変わる…それが中学時代の野球部の最後の想い出だ。
そんなこともあり、野球が嫌いになりそうな時もあった。オトナのずるいところを知り、思い通りにならないこともたくさん経験した。
それでも、仲間と野球の練習をするのは好きで、飽きなかった。
顧問の指導も中途半端だったので、仲間たちと試行錯誤しながら、練習メニューを考えたりもした。朝起きるのは辛かったけれども、仲間がいたから朝練にいくのが楽しかった。
野球部はなんのためにあるのか
センバツ中止についての高野連の判断や、部活動としての野球部について、辛辣な意見が寄せられていることは、野球情報をチェックしているから知っているし、野球部出身なだけに、胸が痛むことがある。
- 非効率で原始的な練習メニュー
- 強制的丸刈り
- 未だなくなることのない体罰
- 意味のわからない上下関係
- 競技人口の減少
野球部だけではなく、ほかの部活動に対する風当たりも、昔とは違ってきている。顧問が暴力を振るう動画が瞬く間に配信される今の時代は、なにかがおかしい気もする。
けれども、負の部分をオモシロおかしく伝えることで、話題にしたり、PV稼ぎに利用する…。
そんな程度の野球媒体を創っている編集者やライターがいるのも事実だ。
忘れられないプレー
不完全燃焼の中学野球時代を経験していたから、高校に進学したら絶対に野球部に入部しようと思っていた。
家庭の事情で引っ越したこともあり、通っていた中学校とは異なる学区の高校を受験して無事に合格。
同じ中学校の野球部の仲間もおらず、周りはみんな知らないヤツばかり。まっさらな状態で高校の野球部の門を叩いた30年前の春は、やけに風が強く吹いていた。
あれは1年生の夏だったと記憶している。
3年生が引退した新チーム発足直後、練習試合でセンターの守備についたときのこと。
真夏の最中、連日の練習で疲労はピークに達し、緊張と不安で意識が朦朧としていた自分に向かって、打球が飛んできた。センター前にポトリと落ちそうな当たり。
力ないその打球目がけて、懸命に走り込み、最後は足がもつれて、アタマから飛び込んでグラブを差し出した。
一瞬、本当に記憶をなくしたあの感覚は、今でも不思議と覚えている。
グラブの先に引っかかるように半分飛び出ていたボールは、確かに地面には触れていなかった。
目を開けると、ショートのやつが手をたたいて喜びながら近づいてくる。ライトのやつは、しきりに自分の肩を叩いて褒め称えてくれた。痛いから止めてほしかったけど。
ベンチに戻る途中も、監督やコーチ、先輩や同級生ら、上下関係なしにかけられた声。
決して野球が上手ではなかった自分にとって、どれほどの自信になったことか。
一生懸命、毎日毎日練習に励んでいたから、軌跡が起きた…。
冗談ではなくて、当時は本気でそう思った。当時も現在も単純な思考回路を持つ自分にとって「野球の神様はいる」と確信した瞬間でもあった。
説明のつかないなにか
その野球の神様とやらが出現して、軌跡が起きた試合は何度も観た経験がある。
甲子園ではもちろん、むしろ地方大会のほうが、神懸かったプレーを目撃することが多い気がする。
高校野球に限らず、スポーツにはこうした説明のつかないなにかを感じることがある。
決して大げさではなく、あり得ない現象が起きるのがスポーツの面白さであり、予想を覆す出来事が起こるからスポーツは楽しいのだ。
白山はなぜ甲子園に出られたのか
そこでこの本の登場である。
そして、「なぜ白山は甲子園に出られたのか」というテーマで講演してほしいという依頼も多数舞い込んでいる。
だが、そんな依頼が届くたびに、東は自問自答する。
「なんで白山が甲子園に出られたのか…、そんなの俺でもわからへんのに」
下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクルより
底辺校をイチから育て上げ、甲子園出場まで果たした監督がこう言っている。結論として「理由はわからない」のだ。
この結論を読んで、スッと腑に落ちた感覚を得た。
わからないものはわからない。野球は、スポーツは、それでいいと思う。
これに対して拍子抜けするか、「いや野球ってそういうもんだよ」と答えるかどうかで、その人の野球観みたいなモノを計ることができそうな気がした。
どちらが正しいとか、そんな問題ではなく、一番大事なのは、その過程ではないか。
わからないものはわからなくていいけど、野球だったら野球に、真摯に取り組んで続けていくこと。
そういうことの大切さを、部活動は教えてくれた気がする。
野球の神様はみている
この本を読んで、約30年経った現在でも、野球部に捧げた時間は決して、無駄ではなかったという考えは間違っていなかったと確信できた。
野球部時代の素晴らしい記憶を蘇らせてくれたこの本は、部活動に励むことには間違いなく意味があることを、改めて教えてくれた本でもある。
センバツに出場できなかった球児たちを笑うひともいるだろう。
けれども、野球部に入部して得た経験は、かけがえのないモノになるはず。
それについては間違いない。オッサンになった元高校球児が断言する。
著者の菊地高弘氏の新著が4月3日に発売。こちらも楽しみな一冊だ。