昭和33年日米野球日本代表メンバーを大紹介‼
野球の世界一を決める第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が大盛り上がり!侍ジャパンメンバーの奮闘ぶりに注目が集まっていますが、ここでは1958(昭和33)年にタイムスリップ。今から65年前の日米野球では日本代表対セントルイス・カージナルスが興行されました。

はじめまして!見た目のとおり野球場で売り子をしている麦酒売子(むぎさけ・うりこ)です。今回はサンデー毎日が創刊した「カージナルス来日」という雑誌から、当時の侍メンバーたちを紹介していきますね。※成績は昭和33年シーズン9月30日現在


まずは投手陣。現在の侍メンバーと遜色ない、ものすごいメンツだと思いませんか?日本代表の大黒柱・金田正一はこのシーズンは最終的に31勝(14敗)でセ・リーグ最多勝のタイトルを獲得。一方のパ・リーグは若干21才!の稲尾和久が33勝(10敗)を挙げて2年連続最多勝を記録。他にも土橋正幸や梶本隆夫、米田哲也と、錚々たる顔ぶれがメンバーに名を連ねています。


大投手がまだまだ名を連ねる、この年のサムライたち。秋山登も小山正明も24歳と若く、プロ2年目の藤田元司は26歳と充実期。荒巻淳は32歳とベテランですが、このシーズン17勝(10敗)109奪三振を記録しています。


続いて野手陣。こちらも投手陣にヒケをとらない豪華メンバーが招集されました。何と言ってもノムさんが若い!前年(昭和32)は132試合に出場して30本塁打で本塁打王に輝いた野村克也。この年は120試合出場で21本塁打でしたが、球界を代表する名捕手への階段を確実に登っていた途中でした。他にも豊田泰光のイケメンぶりに注目!38歳の川上哲治もシブい!


野手その2も豪華メンバーがズラリ。岡本伊三美や広岡達朗ら大選手がリーグを超えて集結する辺りも代表チームの醍醐味。中西太はこのシリーズ3本塁打を放ったとか。そして忘れてならないのは昭和33年デビューの長嶋茂雄。まさにこのシーズンから伝説を作っていくのです。


外野陣では昭和33年シーズンをもって現役引退した小鶴誠の名前も。ほか与那嶺要や田宮謙次郎らのベテラン勢や山内和弘や穴吹義雄が代表メンバーに選出。近藤和彦や毒島章一ら若手ホープも名を連ねています。


2年前の昭和31年シーズンには日本タイ記録の154試合出場を記録した「円月打法」の杉山光平。後にグローバルリーグに参戦する森徹はこの年ルーキーながら23本塁打を記録しています。

最後に12球団別の一覧を掲載しておきます。こうしてみると満遍なく選出されている印象がありますね。そして昭和33年は長嶋茂雄をはじめルーキーの当たり年!本編で紹介できなかった杉浦忠のほか本屋敷錦吾(注・上の画像の本尾敷は誤植ですね…)など、以降の日本プロ野球を牽引する選手たちも数多く代表メンバーに選出。冒頭で説明したとおり、65年前の侍たちは現代の侍ジャパンにもけっしてヒケをとらない豪華メンバーでした!
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